雨ノ日


            タバコの煙を吐き出して、外の景色を眺める。
            相も変わらずしとしとと、音もなく降り続いている銀色の細い糸のような雨。
            昼間だというのに、どこか薄暗い室内。
            少し前に拾った同居人はどうしているのだろうか…などとぼんやり思ってみる。
            アイツを見つけたのもこんな日だったな…と口の端を上げた。
            「…ったく、こんなことになるなんてな。」
            そう呟いた声は、吐き出された紫煙とともに溶けて消えた。

            いつのまにか魅せられていた。
            いつのまにか惹かれていた。
            その仕草、その声、その微笑。

            見るたびに心が騒いだ。
            聞くたびに甘苦い気持ちが広がった。

            今では押さえがたいほどに膨らんだその気持ち。
            それでもそこから目を背けて、そ知らぬ振りをし続ける。


            血にまみれて、傷だらけで。
            死にたいと全身で語りかけてきたアイツを、拾って助けた。
            理由なんて、ない。
            「死にたい」と思ってるヤツをそのまま死なせてやるほど性格が良くないだけ。
            ただ、それだけ。
            多分、それだけ。
            閉じていた瞳が久しぶりに開いて、綺麗な碧が覗いたときにほっとしたのはきっと気のせい。
            気の迷い。


            一緒に暮らすようになってだいぶ時間が経って、お互いがいることにも慣れた。
            俺はアイツを詮索しないし、アイツも俺を詮索しない。
            ただ、たまたま一緒にいるだけ。
            程よい距離感を保ったまま。
            相手を気にせず、気にならず。


            いつからだったか。
            それもきっと雨の日。
            アイツの表情がおかしくて、つい気になった。
            普段とは違う、雰囲気。
            いつもだったら何を考えているのかまったく掴めない微笑が浮かんでいるはずの顔に
            そのとき浮かんでいたのは…痛みと懺悔と後悔と無力さと憎悪と…
            なぜか嫌な感じがして、アイツがいる部屋へと入った。
            そこに散るのは紅い華。
            虚ろに揺れる瞳は何を見ているのか。
            フラッシュバックする記憶。
            憎悪に満ちた瞳。
            振り上げられた刃物。
            散る紅色。
            「…バッカ…ヤロウっっ!!」
            思わず零れたのは掠れた自分の声。
            ぼたぼたと赤い鮮血が滴り落ちる傷を近くにおいてあった布で押さえた。
            パシッ…と頬を張る。
            「ご…じょう…?」
            虚ろだった碧に意識の灯がともり、アイツと俺の目が合う。
            カラン…と乾いた音を立てて小さなナイフが転がり落ちた。
            縋るような瞳。
            危うい均衡。
            細く白い腕を取り、我が方へと手繰り寄せた。
            「ぅわっ…」
            とすんっ…とかかる人の重さ、体温、吐息。
            コトリと何かが動いた音。
            「…バカヤロウ…」
            小さな声で呟いた。
            「…すみません…」
            同じように小さな声で返る返事。
            動き始めたのはきっと、あの時。


            何も変わらないような日常。
            押し隠した気持ちはいまや溢れそうになっている。
            どうすればいい?
            どうしたらいい?
            表に出すことも、まして伝えることもできないこの気持ち。
            表面上は何も変わらず、内面だけが千々に乱れる。
            いつの間にやら歯車は狂い、ギクシャクとした空気が流れて…
            じりじりとした焦燥感。
            どうする?
            どうしたい?
            触れたい?
            感じたい?
            …全てを…奪いたい…
            凶悪なまでの欲望。
            押さえの効かない衝動。
            その声も、表情も、傷も、ココロも!!!
            …全てを自分のものに。


            「…ムリだっての。」
            自嘲しながら吐き出した。
            短くなったタバコをぎゅむ…と灰皿に押し付けて。

            …セメテ、ソバニイサセテクダサイ…

            伝えられることのない言葉と、ふぅー…っと吐かれた最後の紫煙。
            ふわふわと漂って、溶けるように消えていった。






モドル

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